日本文化

熊野三山とはどんな神社なのか?祀られている御祭神や歴史について説明します。

日本には色んな神社が建設されていますが、皆さんは神社と言ったらどんなイメージを持っていますか?

恐らくは「神秘的でそこにいるだけで落ち着く」といった感じではないでしょうか?

しかし日本にはそんなことを言ってられないような厳しい場所に建設され、

修行の場として有名な神社も存在します。

今回紹介する熊野三山もそんな神社の一つです。

この記事のテーマ
  • 熊野三山とは?
  • 熊野三山の御祭神はだれなのか?
  • 八咫烏という神様について

この記事を読んで、熊野三山という場所がどういう場所なのかしっかり理解していきましょう。

熊野三山とはどんな神社か?

熊野三山というのは世界遺産にも登録されている、全国の熊野信仰の神社の総本社です。

三山という名前の通り、熊野本宮大社(くまのほんぐうたいしゃ)、熊野速玉大社(くまのはやたまたいしゃ)、熊野那智大社(くまのなちたいしゃ)の3つの神社が合わさってこの名前が付きました。

元々はそれぞれ違う神社でしたが、平安時代後期に一緒になりました。

熊野は古くから修験の地として有名で、奈良時代から貴族を中心に熊野に参る熊野詣が流行していきます。

それから時代を経て庶民にも親しまれるようになり、江戸時代では伊勢参りと並んで人気のお参りスポットとなりました。

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といっても、熊野三山は修験場だからそんな気楽なものじゃないけどね。

御祭神の紹介

熊野三山に祀られている神様はそれぞれ異なります。

熊野本宮大社:家津美御子大神(けつみみこのおおかみ)

熊野速玉大社:熊野速玉大神(くまのはやたまおおかみ)&熊野須美大神(くまのふすみのおおかみ)

熊野那智大社熊野須美大神

非常に難しい名前の神様ですが、家津美御子大神は日本の神話の『古事記』に出てくる神様である須佐之男命(すさのおのみこと)と言われており、

熊野速玉大神は伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、

熊野須美大神は伊邪那美(いざなみのみこと)と言われています。

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古事記を読んだことがある人だったらピンと来るね!

伊弉諾尊&伊邪那美

伊弉諾尊と伊邪那美は、日本の国土を作り出したとされている神様です。

伊邪那美は日本の国土を産んだ後に、水、岩、木といったように様々な神様を産みだします。

しかし最後に産んだとされている火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)と言われる神様を産んだ時に、全身が焼けて亡くなってしまいます。

伊邪那美はその際に熊野に葬られたと言われています。

その後の伊弉諾尊は伊邪那美に会いに黄泉の国に行くんですが、そこにいた伊邪那美は生前とは比べ物にならない程変わり果てた姿になっていて、

伊弉諾尊は恐ろしくなって逃げだしてしまいます。

黄泉の国から帰った後に、黄泉の穢れを払う為に禊をして生まれた3柱の内の1柱が須佐之男命です。

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同じ時期に生まれた天照大御神については別記事を参照してね。

須佐之男命

須佐之男命は伊弉諾尊が禊をした時に、鼻から生まれた神様と言われています。

性格は非常に乱暴で、一時期は天界で大暴れして天照大御神を天の岩戸という場所に追いやってしまい、

軽く日本に生きる生命の危機になった事もあります。

しかしその後は日本で悪行を行っていた八岐大蛇という蛇と戦い村の人々を救ったり、

大国主命に対して試練を与えて「おまえが日本を作れ!」と激励をするといったように、

日本が日本たらしめる為の役割を担っていた重要な神様です。

須佐之男命は伊弉諾尊より黄泉の国を司る事を命じられていた為、黄泉の国へと渡りましたが、

その時に使った入り口が今回紹介する熊野にあると言われています。

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須佐之男命は乱暴者だったけど正義感が強いから、厄払いに非常に高い御利益があるよ!

熊野三山についてもっと詳しく!

ここからは熊野三山についてもっと詳しく見ていきましょう!

熊野三山は修現場だった

熊野三山は冒頭でもお話した通り、修験の場所として有名です。

今でもそうですが、熊野は京都や奈良の街の間に山脈がそびえているのでたどり着くのが非常に困難でした。

更に前述した神話や、熊野の山頂が非常に自然豊かでこの世の極楽のようだと噂されるようになったり、

神仏習合の影響を受けて熊野=極楽浄土という考え方が広まり、参拝者が後を絶たなかったと言われています。

熊野に参拝する熊野詣が盛んだったのは平安時代~鎌倉時代と言われていて、

参拝者の中には歴代の天皇陛下も含まれているらしく、それほど信仰が熱かったことがわかります。

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ちなみに天皇陛下といえども修験の場なので、乗り物に乗るのは禁止だったよ。

歩いて熊野神社を目指したんだって。

その後は熊野信仰は貴族だけではなく、庶民にも慕われる神様となって熊野詣が全国的に広がって行きました。

あまりにも多く参拝する人が多いことから『蟻の熊野詣』という諺も生まれたほどです。

八咫烏とはどんな鳥なのか?

八咫烏(やたがらす)は熊野三山のシンボルとなっている鳥の神様です。

見た目はカラスそっくりですが足が3本生えているのが特徴です。

その昔日本の初代天皇である神武天皇が九州から大和に東征してきた時に、道案内をしたのがこの八咫烏と言われています。

熊野三山に行った時は八咫烏を探してみてください。

日本一大きい熊野鳥居

熊野三山を代表するものと言ったら熊野鳥居ですね。

形こそどこにでもあるような形の鳥居ですが、その大きさは全高33.9×全幅42mにもなります。

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大体10階建てのマンションと同じぐらい。

日本各地にも大きな鳥居はありますが、これよりも大きな鳥居は存在しません。

場所は熊野本宮大社の近くにあるので、参拝がおわったら見に行ってみてください。

まとめ

以上で熊野三山についての説明を終わります。

熊野三山は歴史が深い神社なので、まだまだ話すことはありますが入り口としては十分な事は話したかなと思います。

この記事のまとめ
  • 熊野三山は日本において重要な神様を祀っている
  • 修験場として有名で参拝者が多かった
  • 熊野鳥居は必見

場所はちょっとアクセスしにくいですが、気になる人は参拝してみてください。

以上で本記事は終わりです。

ここまで読んでいただきありがとうございました。